松島 奈美さん
(地域活性化コンサルタント)

まつしま なみさん /地域活性化コンサルタント

ジャンル 地域づくり・観光教育・文化・芸術

活動のエリア 南島原市

プロフィール

『私は、何のために生まれて来たのか?』
 これは誰もが成長する過程で、もしくは生きてく中で、ふと抱く疑問ではないでしょうか?実は、これ、人が生きる上で、非常に重要な柱になるものなのです。意外にもこの平和なご時世、考えなくても生きて行けるために誰もが、そう思うことがあったとしても曖昧にして、生き続けることが可能なのです。
 短大を卒業し、東京で出版社の編集部に就くも故郷からの不思議な一本の電話で、どうしても教育実習で出会った故郷の子どもたちの輝く瞳が忘れられず、即、退職届を出し、帰郷。そして、中学生と駆け巡る先生として、教壇に立ちました。この時、国語科指導に当たっていて、上記の疑問は、授業の中や生徒の作文指導などのやり取りの中で、多く訊かれる投げかけでした。
 「何のために」…これは、人間だからこそ、定義する生き方だと思います。

(動物と人間の違いは?)と考えると人間は、生きることにも「意味」を考えます。そして、これが大きな原動力、エンジンになり、「何のために」は、「夢のために」と位置づけて、毎日、精力的・積極的に生きることに繋げている方が多く、いらっしゃるのも確かです。それは、本当に素晴らしいこと。
 しかし、『夢』という言葉をよく多用する私たちですが、子どもたちに「夢を持ちなさい!」と進路指導の一環で何気に伝えていることは、(ひょっとして、子どもたちにとって、曖昧なのでは?)とふと思いました。(そう言う大人こそ、夢を持っているのか?)とも思いました。
 23年前の噴火災害の被災校区に赴任中、修学旅行生の希望が「知覧コース」に選ばれ、そこには『命』にまつわる辛い事実をきちんと受け止めようとする被災校区の生徒たちの「平和を学びたい」という気持ちが如実に表れていました。実父を火砕流で亡くした教え子たちが選んだのは、「命の価値」についての学びでした。
 帰ってから、ホームルームで話し合ったことは「夢や希望が叶えられる社会」「努力が報われる社会」という2つのことをしっかり生徒たちと確認し、『約束』したのです。これが、今のコンサルタントという仕事に繋がる動機となりました。
 子どもたちは、中学生ともなると大人の社会をシビアに見据えています。その中で、「自分たちだったら、こんな大人になりたくない。こんな社会をつくりたい。」と思うようになります。現実がまだ、浅くしか見えてなかったにしてもそれは非常にバランスよく、良心的で、自然の法則に則った意見であることに着目し、これを「現実不可能」であると大人の既成概念で断定・拒否するのではなく、「私がその実現化へ手助けするサポーターになろう!」という気持ちが沸き起こり、それから自然に目の前に来る課題やテーマを避けずに自分なりに昇華する訓練を自分の人生の中で、開始してきました。

 個人としては、理想の教育の実現のためにまずは、学習塾の経営に携わりました。しかし、そこで学んだのは、「ワークライフバランス」の問題でした。成果を求めすぎる余り、あっという間に大病を患いました。次に一人親で子ども(現在18歳)を育てることとなってしまいましたが、子どもが小さい頃は、自営をすると言っても何の基盤もない状態では非常に難しく、勤務時間にも限界がありました。子どもが幼少期は、パートタイムで行政や営業事務、建設事務、歯科助手等様々な分野の業界を学べたこと、人とのご縁が今のコンサルタントの土台になっている部分が大きいと思います。
 その後、ご縁のあった企業経営者たちに後押しをいただき、12年前に本格的にSOHO(自宅開業)の地域活性化コンサルタント兼ライフビジョン・コーディネーターが誕生しました。このことによって、しっかり子育てをしながら、今度は私が皆さんの「QOL=生活の質の向上」を手助けし、皆さんが思う「幸せ」を研究し、一緒に伴走できる体制に行き着いたのです。
 『夢』…それは、「何のために(目的)」が分母となり、「何をするか(目標)」が分子という分数式になります。

 人は、それぞれ、自分の夢の花を咲かすために生まれて来ました。それがいわゆる、この世に命をいただいた「恩返し」の形です。その花を見て、他の方が明日への希望と勇気を見出し、また、新たな一歩が別のところで踏み出され、また花が咲く。相互に夢の花は、生きる活力を交換し、成長していくのが『幸福の多い社会構造』だと言えます。大人だからこそ、難しく理屈をこねて、結局、答えを迷宮入りさせて曖昧にしがちですが、そういう時こそ「子ども」と関わって生きると答えがひょんなところから、見つかるものです。「子宝」とは、よく言い得ています。
 「子どもの真の笑顔」は、その社会を表す指標です。そして、その子どもを育てる大人たちに「元気がない=邪気」なら、その現場に急行し、同じ目線で一緒に考え、「元気=無邪気」を取り戻してもらうサポートをすることが私の仕事だと思っています。大人が元気でないと子どもたちは、健全に育ちませんし、未来は明けません。だからこそ、今、大変な努力やご苦心をしていらっしゃる大人の方たちの悩みや課題を一緒に取り組み、前への一歩を踏み出すサポートをお仕事とさせていただいています。
 講演や研修会・ミーティング形式や個人カウンセリングといった形から、交流会イベント等を企画し、「人生や地域を一緒にデザインする」というイメージで、問題提起をくださった皆さんと前に進む日々です。

 越えられない壁は、やって来ません。一人で悩まず、同じ親として、同じ古里人の一人として、地球仲間の一人として、手を繋いで語り合うことを忘れなければ、きっと道は開けると固く信じ、今日も「子育て・家事・地域活動・お仕事・ボランティア(恩返し)」、「私という個性を楽しむ」というスタイルで、ライ フ・ワークを笑顔で歩んでいます。


(更新 平成28年3月)

ライフヒストリー

20歳 東京の出版社勤務の頃、ゼネコン役員の魅せた『人類の志事(吉野ケ里遺跡保存における奉仕的精神)』に衝撃を受ける
25歳 中学校教師時代、中2女子から、「お願い」の手紙をもらう(私の人生の使命書)
28歳 子宮癌を患いながら、出産を経験
    (話し合いの結果、シングルマザーで子どもを育てることを決意)
34歳 コンサルタント初の仕事でやりがいのある志事に出会う
    (100億近い負債をもつ長崎県内の私立学校を8年で、再建成功)

Q. 現在のお仕事(活動)の内容、始めたきっかけなどを教えてください。

・父が地方公務員だったため、家の中でよく「地方創生」の愚痴を耳にしていた。父の職では、いろんな規制があることを子どもながらに理解し、(私はフリーな立場で、真の古里創生がしたい!)と思い続け、人生の荒波に揉まれつつ、いろんな職業を経験したことが、その『想い』の肥やしとなって、今の仕事を実現化できた。
・長年の『想い』に着火したのは、当時中学2年生の女子からの手紙でした---
「先生とお別れするのは、寂しいことですが、本当に先生の叶えたい夢をぜひ、実現化させてください。」といただいた。
これが、私の「人生の使命書」となりました。

Q. お仕事(活動)と家庭の両立で工夫していることは?

・シングルマザーで育てたので、外出の多い私の仕事で、子どもに寂しい思いをさせないように毎日、手紙を書いて、子どもが学校から帰宅して、真っ先に読むように玄関に手紙を置いた。
 →子どもや家族とのコミュニケーションの工夫。
・食事の調理やお弁当づくりは、作り置き(保存方法)を工夫した。
 →家事の段取りが上手くなった!
・PTA行事への協力(会場設営等の力仕事など)も積極的に参加した。
・子どもが小さい頃から、出来るだけ私の仕事(許可いただいたところ)に連れて行き、スタッフを経験させ、私の仕事を理解してもらうことや早くから、社会(仕事)を学んでもらうことに努めた。

Q. プライベート(休日)の過ごし方は?

・私の仕事は、出張や外出が多いので、出来るだけ、家族との時間を有効に使います。
(イベント参加・旅行・お買いもの・映画・庭でのBBQパーテイー等々)

Q. 座右の銘(好きな言葉)は?
理由などあれば合わせて教えてください。

「The great thing in the world is not so much where we stand, as in what direction we are moving.」
(訳)人生において重要なのは、自分が今どこにいるかではない。どこに向かって進んでいるかだ。
/オリバー・ウェンデル・ホームズ
(アメリカの作家、医師1809-94)

Q. これからしたいこと(今後の目標)は?

・世界飢餓人口10億人と言われ、食分配の不均衡(先進国の食品ロス問題)の解消から、どの国の子どもたちも健やかに成長できるように国境を越えて、この課題に取り組みたい。
(これは、マザー・テレサなどが信念とした『真の公平について』の考え方である「満ちている人が、不足している人に分かち合う」という『平和の実現へ』向かうことの実行へ移したいという思いから。
こう思い願うのも被爆県に生まれ育ったからかもしれません。)

Q. 後輩女性へのメッセージをお願いします!

「女性」ということで、社会構造が家庭も仕事の場も男性優位が多かったことから、働き始めた頃は、確かに軽視や仕事のやりにくい点もありました。然しながら、私には、「これを実現したい!」という明確な思いがあったため、石の上にも3年とばかりにやり切って来た結果、今では、そういうことは見当たらなくなりました。「女性」ということで、軽視されていたのではなく、どの世界でも認められるのには、本人の努力を見ようとしているだけだということです。
『自分の道は、自分の手で責任を持って、切り拓く』
女性だけでなく、人として、不可欠な「心構え」だと思います。