近藤 ヤスヨさん
(長崎県男女共同参画推進アドバイザー)
こんどう やすよ長崎県男女共同参画推進アドバイザー
ジャンル 地域づくり・観光
職種 接客・サービス業
活動のエリア 新上五島町
プロフィール

「お願いがあります」この一言に滅法弱い私は、友人の大坪さんからの電話を受けた時、彼女が何かしら窮地に立たされているものと思い、「どうしました?私にできる事なら」と、これが私が男女共同参画推進活動に関わる事になったきっかけでした。
正直その時は、まだDVやセクハラといった事が殺人に発展するとか、私の知らないところで多くの事例が進行中である等の認識は、ほとんどありませんでした。
私は、大工職人の父と演歌のだんな様を地でいくような献身的な母との間に7人姉弟の長女として育ちました。子供の頃の記憶では、父は私が起きた時には既に仕事に出かけ、帰りが遅くなる時は子供達だけが先に夕食を済ませて母が父を待っていた事と、一緒に食事をする時には、正に上げ膳据え膳の言葉通り父は食べるだけ、空の茶碗をさし出せば母がすぐに受け取ってご飯をよそってくる、そんな亭主関白の家庭でした。男は働くもの、女は家庭を守るものという典型的な環境でした。それだけに初めての男女共同参画推進員研修会は、目から鱗、ちょっと衝撃だった事を覚えています。

さて、こんな私が大坪さんに導かれ男女参画推進員活動に取り組む中で目指した事は、『DVは、命に関わる危険な事だとわかりやすく伝える事』。結果、方言による寸劇を行う事になりました。児童虐待やデートDV、そして介護、更には老老介護。
脚本作りから始まり、劇中の衣装は社会福祉協議会からお借りし、小道具は当時の役場担当職員が手作りし、役者は推進員と選抜した町職員と熱血保育士の3人。セリフ合わせ→練習→リハーサル→本番と全員そろったのは、計5回程度。毎回の練習毎にセリフにはアドリブが加わり、お互いの演技に妥協は無く、やがて無名の役者達はアカデミー賞を狙うかの如く、本番の舞台を演じきったのでした。
終了後、観客の方々に「次はいつやるのか?」「次のテーマは何か?」「もっとたくさんの人に見てもらうよう宣伝しなければ」等々の嬉しい声を頂きました。
私達の舞台が、日々の生活の中で似たような場面に直面した時、解決の糸口を見出すきっかけとなれば幸いです。

今、今年度のテーマと舞台の準備に取り掛かろうとしている所です。これからも身近な問題から、そうなるかもしれない現実を想定して活動のテーマに取り上げていきたいと思っています。そして、地域の皆様に笑いながら考えてもらえる場所を提供していきたいと思います。
個々が目指す理想の男女共同参画社会は、十人十色だと思います。「周りがこうだから」、「人がそうだから」という見た目を気にするものでなく、男女互いに居心地の良い環境を築いていければどんな形であれ、それが一番なのだと思います。私の母が、自分の人生を幸せだったと言ったように。
うちの旦那、うちの主人、うちの人、うちの奴、うちの野郎、うちの夫、うちの亭主、愛する人の呼び方は違えど、その選択肢は多ければ多い程楽しいと思う私は、まだまだ男女共同△(参画)推進員なのかもしれません。
(令和元年11月)
ライフヒストリー
27歳:帰郷
29歳:結婚
31歳:出産
39歳:仕事再開
47歳:タクシー会社に勤務
Q. お仕事(活動)と家庭の両立で工夫していることは?
それでも家族の笑顔が私の原動力。聞き分けの良い息子と、手のかかる夫と、島外に就職している長女、長男との家族メールに支えられて日々奮闘しています。
Q. 座右の銘(好きな言葉)は?
理由などあれば合わせて教えてください。
年齢を重ねる毎にほんの僅かな段差でもつまづきそうになったり、転んだりするようになった。そんな時、ふと自分の人生で自分に何の非もないのに理不尽な目に合ったり、誤解されたということがあったなあと思い出し、もしその時ふて腐れて人生をあきらめていたら、今の幸せはなかった、大切なのは、つまづいても転んでも起き上がることだと改めて感じた。辛い時・苦しい時いつもそう思って自分を励ましている。
Q. これからしたいこと(今後の目標)は?
時間を気にせず眠りたい。起きたい時に起きたい。そう思うのは、今時間に追われる生活をしているからだと思う。ゆっくりしたいけど老後二千万円も必要とか言われたら、そうそうゆっくりもしていられない。そのためこれからも無理はせずに仕事もプライベートも頑張っていきたい。そして少しのお金持ちになったら、日本縦断旅行をしたい。