宮本 美砂さん
((独法)中小企業基盤整備機構九州本部 D-FLAGながさき出島インキュベーター チーフ)
みやもと みさ(独法)中小企業基盤整備機構九州本部 D-FLAGながさき出島インキュベーター チーフ
ジャンル 起業・経営
職種 コンサルティング
活動のエリア 長崎市
プロフィール
大学は、工学部電子工学科へ入学。理学部へ進みたかったのですが、行きたい大学に学部がなく、名前がかっこいいので選択しました。大学卒業後、電機メーカーに技術職として就職し、システムエンジニアとしてソフトの設計に携わりました。
3年目からプロジェクトを任されました。自分で仕事を全て回せるようになり、一通りできるようになり充実していましたが、自分の生活を犠牲にして、今のまま仕事を続けていても、生まれてくるものはないと思い、次のステップに進むために10年目に退職しました。

退職後、1年半ほど好きな仕事をいろいろと経験しましたが、食べていくことができませんでした。そこで、地元長崎でこじんまりとして食べていけそうな企業を探しました。しかし、なかなか見つからず、結局元職と同じ業務のシステム開発会社へ就職しました。
就職後、「福岡へ」と言われたので出張だと思ったら転勤でした。
縁あって、福岡で結婚し出産、育児休業を1年間取得し技術職、短時間勤務、残業なしで復職しました。復職後、昇進の話がありましたが断り、子育てのため地元長崎への転勤を希望し長崎へ転勤しました。
会社が長崎の事業所を閉鎖するため福岡への転勤を打診されました。長崎で子育てをしたかったので、それを断り退職しました。また、離婚や母親が癌を発病、子育てや就職活動が重なりました。
そのような中、前職の方が唯一長崎で知っている方を紹介するといわれたことが縁で、長崎のコンピューター開発会社へ就職。開発システムエンジニアへの協力、カレッジ講師の研修、社員研修、就業訓練等を行いました。就業訓練では、元とび職の方を半年でシステムエンジニアへ養成しました。この時教えた生徒は、全国の大手企業で活躍しています。
また、人材育成に関わる中で、人の可能性がわかってきました。
3年目に部長への昇格を打診されましたが、一つの会社のために仕事をするよりも、社会に役立てる場を広げたいと思い退職しました。

公益財団法人長崎県産業振興財団へインキュベーションマネージャーとして就職。
仕事のフィールドを広げ、県の事業から国の事業へチャレンジしたいと思い、独立行政法人中小企業基盤整備機構へ転職しました。
自分の働く環境、子どもを育て上げて社会にきちんと旅立たせる、自分がやりたいことだけではなく、中庸をとってあてはめる仕事をやることで、いろいろな人の気持ちがわかりました。
「働ける時間」「給与を上げる」「自分の向上」「子育てに取っておく時間」にチャレンジしていこうと思ってます。
収入、家事育児、介護にバランスをとり食べていける。それに無理がないように収入の道筋を立てる。今を知って寄り添えるのが私の強み。
私自身もステップアップするために、仕事をしながら資格を取得するよう学んでいます。ライフステージの中で、仕事しながらでも資格を取得できる時期を大事にしたいと思います。
(令和元年6月更新)
ライフヒストリー
32歳 電機メーカーを退職。
34歳 システムエンジニアとして就職。福岡県へ転勤。
37歳 転勤先の福岡で結婚。
38歳 出産。1年間産前産後休業、育児休業を取得。
39歳 育児休業から復職。長崎へ転勤。
43歳 長崎の事業所が閉鎖となり退職。長崎のコンピューター開発会社へ就職。
46歳 公益財団法人長崎県産業振興財団へインキュベーションマネージャーとして就職。
53歳 独立行政法人中小企業基盤整備機構へ転職。
Q. 座右の銘(好きな言葉)は?
理由などあれば合わせて教えてください。
チャンスは人からくる。二度と会えないかもしれないその一度をチャンスにする。
【心において生きています】
マザーテレサの言葉
どれだけ偉大なことをしたかではなく、どれだけ心を込めているかです。
Q. これからしたいこと(今後の目標)は?
Q. 後輩女性へのメッセージをお願いします!