北田 貴子さん
(株式会社北田物産 副社長・自由空間きた田主宰)

きただ たかこ株式会社北田物産 副社長・自由空間きた田主宰

ジャンル 起業・経営教育・文化・芸術

職種 企画経営

活動のエリア 島原市

プロフィール

<島原半島の歴史や自然、風土から生まれた食の文化と共に暮らしの文化を伝えたい>

拠点である島原きた田(自由空間きた田)

 島原で生まれ、有明海と雲仙普賢岳の自然と風土を満喫し向きあいながら、音楽や文学などさまざまな本物文化に触れる機会を与えてくれた家庭環境で幼少期を過ごし育ちました。
 それはすべて、今の私の仕事や文化活動などの源となっている、ワクワクとした好奇心や創造力、感性を育む種まきのような、今の私にとって大切な宝物となっている、貴重な時間と環境であったことを、自身のこれまでの活動をふりかえりながら再認識しています。
 大学進学を機会に上京し、サブカルチャーが満載の吉祥寺で多感な学生生活を送りながら、音楽活動などを通じてさまざまな魅力の人々と感性に出会いながら文化企画などに取り組んでいました。
 そのような中、雲仙普賢岳噴火災害がはじまり、遠く離れた東京から、あらためてふるさとへの思いを募らせる中、島原を長年離れたことで見えてきた島原半島の魅力と、島原半島の特産品の魅力を伝える商品を企画、製造、販売する家業の魅力をあらためて感じることになりました。

 41年前、私が幼い頃に両親が創業した「株式会社北田物産」は、有明海のわかめをはじめ、食油雑穀や各種食材など、地域密着で食の分野に携わってまいりました。
 1994年に帰省後は、会社の運営に携わりながら再び暮らす中、知らなかった島原半島の歴史や自然、風土から生まれ育まれた食や様々な文化、人々の独特の感受性や個性などにふれ、島原半島に宿る暮らしの文化を学び伝えていくことの大切さを深く感じるようになりました。
 以来、「島原半島の歴史や自然、風土から育まれた食の文化と共に暮らしの文化を伝えたい」のコンセプトのもと、1989年に開店した自社直売店「島原きた田」の企画・運営・販売を通じて、島原半島の魅力を伝える商品企画や販売などに取り組んできました。
 2009年4月に、島原半島ジオパークの魅力を食の分野から発信できればと「平成新山雲仙溶岩焙煎珈琲」を企画し、島原半島ジオパークロゴマーク使用第一号の商品として発売。現在も島原半島ジオパークをPRする商品としてご愛好いただいております。その年の2009年の夏、島原半島ジオパークは世界ジオパークに認定され、今年の2019年で早いもので10周年を迎えます。
 1996年には直売店の2階の倉庫を改装し、文化交流スペースを開設。
「自由空間きた田」の主催として音楽・文化企画の仕事の経験を活かした、地域に根ざした文化の創造と発信、継承を目的に様々なコンサートやワークショップ・作品展の企画、制作、運営などに長年取り組んできました。

島原親善人形の会の活動

<島原独自の文化力は、未来の島原のビジョンを描く原動力> 

自由空間きた田での様々な企画や活動が定着した2002年頃からは、ギャラリー「自由空間きた田」を拠点に、島原の地域に根差したさまざまな文化企画に取り組ませていただいております。
 島原親善人形の会、肥前島原子ども狂言協力会、島原城薪能振興会、Shimabara Art &Culture Projectなど、いずれも事務局を務め企画・運営に携わっています。
「島原親善人形の会」は2003年に発足。日米親善人形交流とは、昭和初期に排日運動のなか、アメリカからは12700体の青い目の人形たち、そして日本からは58体の市松人形が友好親善の証として贈られ、それぞれの文化を尊重しながら友好親善の心を伝えあった交流です。
 しかし戦時中、青い目の人形たちは敵国人形として多くは処分されましたが、島原には島原第一小学校に「リトルメリー」が守られ残されており、島原親善人形の会では「身近な相互理解からうまれる国際理解と平和」として、その歴史とお人形に込められた友好親善の心の在り方を子どもたちへ語り継ぐ活動を行っています。
 毎年桜の季節の島原城での企画展とリトルメリーの公開、小学校等での語り部活動に取り組んでいます。そのような16年間の活動の中、リトルメリーは2016年に島原市文化財になり、現在は島原親善人形の会と島原第一小学校と島原市教育委員会と連携しながら、今後もリトルメリーの保存と活用と歴史の継承を考えていけるようになりました。

島原城薪能での肥前島原子ども狂言の舞台

「島原城薪能」と「肥前島原子ども狂言」では江戸時代の島原の歴代の島原藩主の松平家でお殿様自身も嗜んでおられた能楽の歴史を伝えるため、毎年秋に「島原城薪能」を上演し、また地元の子ども達が、和泉流狂言方の野村万禄さんの指導のもとお稽古を重ね、狂言の舞台を島原城薪能の舞台で長年発表しています。
 島原城薪能は第36回。子ども狂言は15周年をむかえました。
島原に今もなお江戸時代から継承される能楽の文化を、次世代の子ども達へ継承する子ども狂言の活動は、島原市自主文化事業の育成型の事業として16年前に企画提案させていただき、毎年のカリキュラムの企画や運営まで携わらせていただいております。
 島原市教育委員会と島原子ども狂言協力会のボランティアスタッフ、島原城薪能振興会がそれぞれの役割で連携することで、島原における能楽の歴史の伝承を継続的に行うことができています。

このような企画から運営まで事務局として長年継続的に取り組んでいる活動は、私のライフワークともなっていますが、すべての活動に共通しているのは、これからの未来を担う島原の子ども達や次世代を描いていく世代の皆さんと共に島原の歴史と文化を共に学び、連携しながら新たな創造力と島原の独自の文化力を育むことに取り組んでいければという思いです。
 私自身も両親や先人の方々に、幼少の頃そのような本物の文化体験の機会を作っていただいたことで、今の自分の生きる知恵や原動力となる創造力や感性を育むことができたと思うからです。
地域における独自の文化力を育て繋いでいくことは、きっと未来の島原のビジョンを描く原動力となっていくことを信じています。

                                               (更新 平成31年1月)

ライフヒストリー

19歳 女子大に進学のため上京。日本文学科で能楽の文化を学ぶ。
23歳 大学在学中より音楽活動を始め企画の仕事にも携わるようになる。
27歳 有明海のわかめや島原特産品を扱う家業の魅力を再確認し(株)北田物産に入社。直売店の運営を担当する。
29歳 ギャラリー「自由空間きた田」を開設し文化企画と発信をはじめる。
36歳 島原親善人形の会、島原城薪能振興会、島原子ども狂言協力会など事務局として企画・運営に携わる。
40歳 島原半島ジオパーク等島原独自の素材や文化、歴史をテーマに商品企画、文化企画などに継続的に取り組む。

Q. 現在のお仕事(活動)の内容、始めたきっかけなどを教えてください。

毎日、ギャラリーの窓から、いろいろな表情で私達を見守るように鎮座する普賢岳やキラキラと輝く有明海の景色を見ながら、この島原半島の歴史と風土に生かされ暮らし、その中に宿る様々なふるさと文化を伝承し発信していける日々こそが、私達にとっての宝物の時間であり、先人から引き継ぎ、また未来の人々へ伝え繋がる一瞬の連続をお預かりしているのだとつくづく実感し、やりがいを感じます。

Q. これからしたいこと(今後の目標)は?

島原半島だからこそできること、やるべきことを取り組みたいというワクワクの心の原点に向き合い、様々な地域社会における文化事業にも丁寧に継続して取り組みながら、さまざまな世代や分野の方々と知恵と時間を出し合い連携し、次世代への継承への種まきの日々を、人々のそれぞれの色合いのご縁の糸を織り込んでいきながら、島原独自の個性的で豊かな文化を育んでいければと思います。
また島原半島の子ども達に、そのような文化に触れる機会を設けることで、島原半島の未来をゆたかに描ける創造力と具体的な実践力をあわせた、自分自身の生きる道を生み出していける力と知恵と感性を育てられればと、今後もじっくりと活動していきたいと思います。

Q. 後輩女性へのメッセージをお願いします!

理想や夢を描くとき、今という与えられた時や環境を丁寧に見つめながら生きること、人と人とのご縁の糸を紡ぎながら、さまざまな時間を共有したり、感じたことを表現し互いに伝えあうことをコツコツと繋げていくことが、ふりかえってみるとその人らしい生き方として描かれていることもあるようです。
必然は自然な呼吸と心から生まれるので、ありのままの自分をいつもしっかり感じて、自然体でできることに取り組んでいくことが継続的な活動にはとても大切なような気がします。